少年ロマンス
第24話 ☆ Romance(1)

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 初めて会ったときから どうしようもなく惹かれていた
 そのときは すごく遠い人だった

 誰も本気にしないような約束も
 今は信じられる
 交わす視線は近くて 微笑めば吐息さえ触れる
 そこにあなたがいてくれるなら 僕は何も怖くない
 



『 ――― 忘れ物、取りにおいで』
 耳元で聞こえた先生の声が、妙に楽しそうに聞こえたのは、僕の気のせい?
 
 学校からの帰り道。ブレザーが無いせいで、シャツの上にコートを羽織っただけ。寒かったけど、そんなの全然平気だった。
 僕の返事を待たずに切れた通話に、余計に心が乱される。
 会ってどんな顔をすればいいのかわからない。会ったとき、僕がどうなってしまうのかわからない。また歯止めが利かなくなったらどうしようかと、ちょっと怖い。
 でも、そんな心配を吹き飛ばすくらい、ただ会いたくて ――― 僕は先生の声に導かれるように、携帯を握りしめて走って帰った。息を乱して、店の二階、厨房に回る。
「兄さん、先月と今月の新作ケーキ、一個ずつ箱に詰めといて。代金は僕のバイト代から引いていいから!」
 そのまま廊下で繋がってる自宅に入って、冷えきった部屋を暖める間もなく着替えた。Tシャツの上からパーカーを羽織って、自転車の鍵と携帯を首に掛ける。財布だけカーゴパンツのポケットに突っ込んで、ダウンジャケットを手にしたとき、思い立って、もう一度携帯の通話ボタンを押した。掛ける相手は、僕の一番の敵だ。

『やぁ、久しぶりだね。どうかした?』
 里中さんの楽しげな声に、企みの匂いがした。
「どうかした、じゃないですよ! 先生が、僕の指導を頼んだなんて、ウソでしょう!? 先生と里中さんが、あの頃毎日会ってたっていうのも!」
『今ごろ気付いたの? 鈍いなぁ、君は』
 反省の色も罪悪感もゼロの返答に、今更ながらふつふつと怒りが湧いてきた。
 十月の末、僕のデッサンを見ながら、『今日は遅くなってもいいんだ。千代も仕事で遅くなるって言ってたから』なんて、さらりと攻撃してきた台詞の数々。あれも絶対ウソだ!
「鈍くて悪かったですね!
 ……でも、なんでそんな嘘を? 先生の近くにいる僕に、妬いたんですか」
 少しの沈黙の後、受話器の向こうでかすかなため息が聞こえた。
『君は本当におめでたいな。
 僕は、知ってたんだよ。あの夜、君がマンションの下に居たのを』

 ――― あの夜、の情景。
 思い出して、少し唇を噛んだ。全部、あれからおかしくなった。
『千代の肩越しに、外で呆然としてる君が見えた。あれで誤解しない方がおかしいだろ? ちょうどいいと思って、利用させてもらったよ』
「誤解、って」
 自分の声が上擦るのがわかった。これから先生と直接会うのに、いま、この人の言うことを聞いていいのか。そんな迷いより、知りたい気持ちの方が強かった。
『あのキスは、さよならの挨拶でしかなかったのに、僕が少し誤解させるようなことを言っただけで、千代の気持ちを確かめようともしなかった。千代を信じないで、彼女を傷つけた。
 君が、自分のことだけしか考えられないような、そんな浅い人間なら、僕はとことん邪魔するよ。本気で千代を欲しがらない相手には、あげない』
「 ――― 先生はモノじゃない。あなたに許可をもらわなくても」
 里中さんは、僕の言うことなんか何も聞いていなかった。
『自分の年齢だとか、お互いの立場とか経験値を必要以上に気にしていると、こんな風に足元をすくわれる。それで無意識に千代を傷つけるのなら ――― 側にいない方がマシだ。そうだろう?』
 傷つけた。それは確かに事実だ。でも、責められるなら先生からであって、里中さんにどうこう言われる筋合いはない。こんな風に強気でいられるのも、互いの思惑が全部わかったからだ。
 僕はもう、迷わない。

「確かに、僕はまだ頼りないと思います。でも、里中さんがどれだけ邪魔したって、もう意味無いですよ。離れる気、ありませんから。
 それじゃ、これから先生とデートなんで、もう切ります。お元気で」
『 ――― 聞いてる方が恥ずかしいな。
 まあ、いいか。またそっちに遊びに行くよ、千代にも伝えておいて』
「絶対、伝言なんてしませんから!」
 里中さんの笑い声にちょっと恥ずかしくなりつつ、僕は通話を切って、気を引き締めた。自分でも、感情の振れ幅が大きいことぐらいわかってる。でも、恋心ってそういうものじゃないかな。
 いてもたってもいられない、この走り出したいような気持ち。

 ほんの一時間前、先生が怪我をしたと聞いたときも、僕は自分でも驚くくらい衝動的に、駆け出してしまっていた。



 学期末の大掃除が終わったとき、僕は体育教官室に居た。ただ単に、僕のクラスが掃除担当だったからなんだけど、おかげで遠い美術室で何があったか知るわけもなく、先生がアクシデントに見舞われたと知ったのは、SHR後、部の後輩が尋ねてきてからだった。

 デジタル美術部の一年二人が、いきなり僕に頭を下げた。左側の女子に至っては、まだ泣いた跡が残った目で。一緒にきた部長の和泉も、一緒に深々と礼をする。
 廊下でそんな風にされたので、何事かと周囲から視線が集まった。
「……すいません。美術室に保管していた先輩の絵、破いてしまったんです」
 美術室に置いていたのは、去年の文化祭に展示した作品だった。久しぶりに大きなサイズで、一面に夏の夜空を描いたもの。
「掃除中に運んでいて、僕らの不注意で穴を開けてしまって」
 しゅんと肩を落とす後輩三人に、僕は軽く手を振って笑いかけた。
「いいよ、どのみち卒業後は学校に寄付するつもりだったし……。準備室は用具が多いから、掃除のときは気をつけないと。でも、誰も怪我してないなら、よかった」
 僕の言葉に、和泉が、いえ、と首を振った。
「千代先生が、脚立から落ちて保健室に」
「……本当に?」
「掃除が終わってすぐ、私たちも心配で保健室に行ったんですけど、先生まだ眠ってて。また明日、改めて謝りに行くつもりなんですが」
 話を聞けば、僕の絵を運んでいたのが一年の男子二人。後ろをちゃんと見てなくて、脚立にぶつかった。脚立の足を持っているように言われたのが、泣きそうになってる女子部員。近くにあった雑巾を取ろうと、ちょっと手を離した隙に、そんなことになったらしい。
「先生、まだ保健室にいるの?」
「さあ。誰かの車で送ってもらうって、脇先生が言ってたから、もう帰っちゃったかもしれませんね」
 僕は「絵のことは気にしなくていいから」ともう一度言って、後輩と別れると、そのまま階段を駆け下りて保健室に向かった。

 保健室のドアには、コピー用紙が一枚貼り付けられていた。殴り書きされた文字を目で追う。
『病院への付き添いで不在です。けが人は職員室へ!  保健室/脇』
 さっきグラウンドの方が騒がしかった。運動部の誰かが怪我をしたんだろうか。それとも、先生の付き添い、かな。
 はあ、と息をついた。冷たい外気に、息が白く溶ける。
 試しに手を掛けると、からからと軽い音を立てて、保健室のドアは開いた。室内はシンとして、人の気配は無かった。暖房が効いて暖かい。鍵の掛かった薬品棚の手前、洗面台には濡れたタオルが浸されたままだ。
 ベッドのカーテンは閉まっていた。誰もいないときは、確か開けっ放しのはず。
 息を殺して、そっとカーテンの端を掴んだ。音を立てないように気をつけて、静かに引く。わずかな隙間から、細い指が見えた。白い手首、かすかな寝息。
 視線を上げれば、会いたくてたまらなかった人の、無防備な寝顔があった。


05.06.15

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