少年ロマンス
第23話 ☆ Selfish(3)

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 時間はあっという間に過ぎていく。
 十二月。初雪はまだ降らなかった。冬の鋭い空気を風が乱す。
「千代センセ、この画集はー?」
「向こうの机の上に積んでおいて。後で整理するから」

 二学期末の大掃除で、校内は慌しい。
 唯人とは、あれから話していない。携帯を取り出して、迷った夜もあったけれど、結局連絡はとらなかった。授業をこなして、部活をして、自分の作品を描いて ――― そうこうしているうちに、日々は淡々と過ぎていく。

 あの後、一度だけ、改築後の「TOGO」に行った。服部先生と一緒に。
 唯人は、アタシに気付いた瞬間、わずかに顔を強張らせて ――― あとは、全く普段通りだった。愛想のいいウェイター。動揺して慌てるなら、少しは可愛げもあるのに。
『お久しぶりです。また食べに来て下さいね』
 ――― 上辺だけの笑顔に、二度と行くかと思った。

 夏休み、アタシの海外研修のせいで、会えなかった。アタシが茅野に嫉妬して、冷たく突き放した。夏の蒸した空気の中で、寂しかったと、唯人が言った。互いの気持ちが重なったと思ったのは、気のせい?
 今は、あのモノ言いたげな視線も無く、本当に心から嬉しそうな、唯人の笑顔をずいぶん見てない。校内でたまに、クラスメイトの女子生徒や茅野と一緒にいる唯人を見かけると、大声で名前を呼んでしまいたくなる。何そんなとこで遊んでるの、さっさとアタシのとこに来なさいよ ――― なんて、言いそうな自分に呆れる。
 最近は、生意気なことに夢の中にまで出てくるんだから、始末が悪い。
 こんな面倒くさい状況は、好きじゃない。
 聖を待っていた間、気持ちはずっと縛られていた。遠く離れていても、聖を中心に物事は進んでいた。今は、聖からも何からも自由になったはずなのに、前より苦しい。
 ……唯人が何を考えているのかわからない。聖のことで、アタシをキライになったのかと思えば、あんな風にキスして、またいきなり距離を置く。逃げたままで終わらす気なら、相手にする価値もないけれど ――― それは自分への言い訳か?

 大掃除の最中、そんな風に、脚立に足を掛けながら考えていた。
 あー、イラつく。掃除終わったら、南門のとこでタバコ休憩しよう。音楽の矢野クンでも誘って、からかってストレス発散しようかな。
 シャツの袖を巻くって、脚立の一番上に上がった。辞書並に分厚い美術資料を三冊ほどごっそり抜くと、結構重かった。しかも埃だらけだ。下にいる生徒に渡そうと後ろを向いたとき、「わっ」と誰かの声が上がった。
 文化祭で使った馬鹿デカいパネルを運んでいた生徒が、後ろ向きに脚立にぶつかった。ぐらっと体が揺れる。
 おーい、ちゃんと支えてるように言ったのに、何やってんのさ、一年! 心の中でそう叫んでいる間に、脚立がゆっくり倒れて、体が宙に浮いた。
 キャー! という生徒の悲鳴を耳に残して、衝撃と共に意識が途切れた。



 右肩がひやりとした。その刺激で目が覚めた。
「……つめた」
 保健室のベッドにうつ伏せに寝かされていた。シーツの白が眩しい。
「あ、起きた? 千代さん、大丈夫?」
 声がした方に顔を向けると、ぼんやりしていた視界に、保健室の脇先生と、書道の服部先生の心配げな顔が見えた。いや、大丈夫っちゃ大丈夫だけど。体を起こそうとすると、肩と背中に鈍い痛みが走った。
「背中が痛い」
「落ちたときにぶつけたのよ。今、肩に湿布張ってるから。
 気持ち悪くない? 吐き気とか、ないかしら」
 脇先生に聞かれて、両腕をついてそろりと体を起こした。カーテンで仕切られた狭い空間で、自分の状態を確認する。シャツもカーディガンも脱がされて、上半身はキャミだけ。暖房のおかげで寒くはない。
「平気です」
「脳震盪でしょうね。でも、背中打ってるし、念のため病院行く?」
 背中にも湿布を貼られて、冷たさに背筋がゾクリ。首を振って、シャツに腕を通した。
「普通に腕も肩も動くし、大丈夫ですよ」
 ほっと笑顔を見せた脇先生から、予備の湿布を受け取っていると、ガラッと扉が開く音がした。カーテンの向こうから控えめな問いかけが聞こえた。

「失礼します。入っても大丈夫ですか?」
「どうぞ」
 顔を見合わせる他の先生方二人より早く、アタシが返事をした。カーテンをわずかに開いて顔を出したのは、眼鏡を掛けた矢野君だ。起き上がっているアタシを見て、ちょっと唇を歪めて笑う。
「災難だったな、千代ちゃん。頭打ったんだって? 大丈夫?」
 触れてくる彼の手を、触るな、とふざけて軽く叩く。矢野君は大げさに痛がって、ハイハイ、すいませんね、と感情の篭らない声で答えた。
「あなたたち、本当につきあってるの?」
 脇先生が半信半疑で聞いてきたので、二人で笑って首を振った。
「ただの愛煙家仲間ですよ。今や絶滅の危機なんで、仲間意識が強いだけです」
 普通の同僚より距離感が近いのは、お互いの弱みを握っているからとは、とても言えない。
「本当にそれだけ? あやしいなぁ」
 服部先生が追求してきたけど、笑ってごまかした。こういうとき、日本人特有の曖昧さは便利だ。
「んー、でも、やっぱりタバコはよくないわよ? 佐々木先生、最近本数増えてるでしょう。前より喫煙場所に行く回数、多いもの」
 あー、チェック厳しいなぁ。増えてます。南門に行くときは、必ず保健室の前を通るから、脇先生にはバレてしまう。
「私も寝る前に一本だけ吸っちゃうから、禁煙できない気持ちはわかるんだけどね。でも、佐々木先生はまだ若いんだし、妊娠したときに困るわよ?」
「あー、女の人はそういう問題がありますね」
「矢野先生も最近吸い過ぎですよ! 肺がんにかかる率が上がることぐらい、知ってるでしょう?」
 矢野君が怒られている側で、アタシは欠伸をかみ殺した。最近眠りが浅いので、こんな風にベッドにいると、すぐ眠くなる。シャツの襟を直しながら、ごく軽い口調で口を開く。
「その心配はないんです。アタシ、先天的に卵巣に障害があって、子供できませんから。それが理由で離婚しましたし」

 一瞬で部屋の温度が下がった気がした。見事にみんな固まってしまった。そんなに驚くことかねぇ。おずおずと最初に口を開いたのは、やっぱり矢野君だった。
「……千代ちゃん、結婚したことあるんだ?」
「うん、あるよ。最近になってやっと、別に恥ずかしいことじゃないって開き直ったんだけどね」
 聖のことも、自分の体のことも。
「そっか。辛かったな」
 矢野君に労わるように笑いかけられて、ふっと心が軽くなった気がした。
 なんだ、もっと早く、誰かに話せばよかった。アタシは悪くないんだって、認めてもらえることで ――― こんなに気が楽になるのなら。

 チャイムの音に、全員が時計を見た。
「今日は部活も無いし、後で送るよ。まだ時間あるから、寝てれば」
 矢野君がそう言って出て行って、脇先生も、そうしなさいと頷いた。
 閉められたカーテンがエアコンの風にゆらりと揺れていた。滑らかな布の動きを見ながら、目を閉じる。全部真っ白だ。
 こんな風に、綺麗さっぱり気持ちも消せたら、きっと楽になるのに。



 夢に出てくる唯人は、実物と違ってキスが上手い。それでも、その先の展開は、いつも同じだった。謝って、涙を浮かべて、背中を見せる。

 何度も夢に出てくるくせに、いつも泣きそうな顔しか見せない。どうせ夢なら、アタシの望むものを見せてよ。
 また今日も、夢の中でアタシは迷っている。唯人が不安に苛まれて背中を向けた瞬間、呼び止めるかどうか。いつも、ここで逃げられてしまう。そして、泣き顔だけが記憶に刻まれて、また目が覚めれば後悔が重いため息になる。
 呼び止めたら、どうにかなるのだろうか。アタシから離れて関わりを絶った唯人と、以前のように話せる時間が戻るのだろうか。もういい加減にしろ。アタシが欲しいなら、逃げたりせずにそう言って。
 欲しいのなら、口にしなくちゃ届かない。

『訊きたいことがあるなら、訊きなさいよ』
 唯人に投げた問いを、自分に向ける。
 もうアタシのことなんてどうでもいいの? そう言ってしまえば、全部終わってしまうと、知っているから言えない。
「ゆい……」
 搾り出した声は途中で途切れたけれど、夢の結末は変わった。

 はい、と声がした。唯人。もう一度呼んだら、目の前にいた。綺麗な二重、深いこげ茶色の、唯人の瞳。見つめあう距離は近い。
「なんだ、ちゃんと居るじゃない」
 アタシが笑うと、唯人も笑った。懐かしい笑顔にホッとして、抱きしめた。もうどこにも消えないように。
 アタシの側にいて欲しい。唯人のいない日々は、寂しくて、物足りなくて ――― もう誰かを思って、悲しい絵ばかり描く毎日はゴメンだ。
「唯人」
 もう一度名前を呼んだら、ぎゅっと強く抱きしめられたような気がした。



「千代ちゃん」
 揺られて目を覚ました。眼鏡の音楽教師が、面白そうな顔をして立っていた。
「起こしに来たのが俺でよかったな」
「……よくない。いくらなんでも失礼でしょうが」
 何、その得意げな表情は。寝起きの顔なんて、見られて嬉しいわけがない。
「仕方ないだろ。脇さん、他の生徒の付き添いで病院行ったし、わざわざ起こすだけで他の女の先生に頼むのも、面倒くさい」
 確かに、理由を聞けばそうかなと思うけど、不機嫌さは減らない。
 前髪をかきあげようとして、しっかり何かを掴んでいるのに気がついた。視線を落とす。
「……何、コレ」
「何って、俺が聞きたいぐらいなんですけど。君ら、俺よりやることが大胆だよな」
 アタシが腕の中に抱きしめていたのは、男子生徒のブレザーだった。東郷、と内ポケットに刺繍つき。
「 ――― 確かに、大胆だね」

 いたんだ、ここに。
 抱きしめて、アタシに笑いかけたのは、夢じゃないのね?

「車、正門にまわすから。帰る準備して、待ってて」
「わかった。ありがと」
「いいえー、どういたしまして。千代ちゃんには借りがありますから」
 ニヤリと意味深な笑みを返されて、今日のことで貸し借り無し、と言われた気がした。わかってるよ、そんなこと。
 一人になると、急に静けさに包まれた。保健室のベッドに腰掛けて、手の中のブレザーを見つめる。こんなもの置いて行って、どうするのよ君は。明日も学校あるって、わかってんの?
 紺色の見慣れたそれを胸に抱くと、自然に口元が緩んだ。

『アタシを夢中にさせてみなさいよ』
 真っ赤な顔で頷いたのは、二年前の君。

 降参するよ。ほったらかしにしたのも、許してあげる。
 ――― 夢中にさせた責任、ちゃんと取ってもらいましょうか。


(Selfish/END)
05.06.07

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