少年ロマンス 第23話 ☆ Selfish(3) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
右肩がひやりとした。その刺激で目が覚めた。 「……つめた」 保健室のベッドにうつ伏せに寝かされていた。シーツの白が眩しい。 「あ、起きた? 千代さん、大丈夫?」 声がした方に顔を向けると、ぼんやりしていた視界に、保健室の脇先生と、書道の服部先生の心配げな顔が見えた。いや、大丈夫っちゃ大丈夫だけど。体を起こそうとすると、肩と背中に鈍い痛みが走った。 「背中が痛い」 「落ちたときにぶつけたのよ。今、肩に湿布張ってるから。 気持ち悪くない? 吐き気とか、ないかしら」 脇先生に聞かれて、両腕をついてそろりと体を起こした。カーテンで仕切られた狭い空間で、自分の状態を確認する。シャツもカーディガンも脱がされて、上半身はキャミだけ。暖房のおかげで寒くはない。 「平気です」 「脳震盪でしょうね。でも、背中打ってるし、念のため病院行く?」 背中にも湿布を貼られて、冷たさに背筋がゾクリ。首を振って、シャツに腕を通した。 「普通に腕も肩も動くし、大丈夫ですよ」 ほっと笑顔を見せた脇先生から、予備の湿布を受け取っていると、ガラッと扉が開く音がした。カーテンの向こうから控えめな問いかけが聞こえた。 「失礼します。入っても大丈夫ですか?」 「どうぞ」 顔を見合わせる他の先生方二人より早く、アタシが返事をした。カーテンをわずかに開いて顔を出したのは、眼鏡を掛けた矢野君だ。起き上がっているアタシを見て、ちょっと唇を歪めて笑う。 「災難だったな、千代ちゃん。頭打ったんだって? 大丈夫?」 触れてくる彼の手を、触るな、とふざけて軽く叩く。矢野君は大げさに痛がって、ハイハイ、すいませんね、と感情の篭らない声で答えた。 「あなたたち、本当につきあってるの?」 脇先生が半信半疑で聞いてきたので、二人で笑って首を振った。 「ただの愛煙家仲間ですよ。今や絶滅の危機なんで、仲間意識が強いだけです」 普通の同僚より距離感が近いのは、お互いの弱みを握っているからとは、とても言えない。 「本当にそれだけ? あやしいなぁ」 服部先生が追求してきたけど、笑ってごまかした。こういうとき、日本人特有の曖昧さは便利だ。 「んー、でも、やっぱりタバコはよくないわよ? 佐々木先生、最近本数増えてるでしょう。前より喫煙場所に行く回数、多いもの」 あー、チェック厳しいなぁ。増えてます。南門に行くときは、必ず保健室の前を通るから、脇先生にはバレてしまう。 「私も寝る前に一本だけ吸っちゃうから、禁煙できない気持ちはわかるんだけどね。でも、佐々木先生はまだ若いんだし、妊娠したときに困るわよ?」 「あー、女の人はそういう問題がありますね」 「矢野先生も最近吸い過ぎですよ! 肺がんにかかる率が上がることぐらい、知ってるでしょう?」 矢野君が怒られている側で、アタシは欠伸をかみ殺した。最近眠りが浅いので、こんな風にベッドにいると、すぐ眠くなる。シャツの襟を直しながら、ごく軽い口調で口を開く。 「その心配はないんです。アタシ、先天的に卵巣に障害があって、子供できませんから。それが理由で離婚しましたし」 一瞬で部屋の温度が下がった気がした。見事にみんな固まってしまった。そんなに驚くことかねぇ。おずおずと最初に口を開いたのは、やっぱり矢野君だった。 「……千代ちゃん、結婚したことあるんだ?」 「うん、あるよ。最近になってやっと、別に恥ずかしいことじゃないって開き直ったんだけどね」 聖のことも、自分の体のことも。 「そっか。辛かったな」 矢野君に労わるように笑いかけられて、ふっと心が軽くなった気がした。 なんだ、もっと早く、誰かに話せばよかった。アタシは悪くないんだって、認めてもらえることで ――― こんなに気が楽になるのなら。 チャイムの音に、全員が時計を見た。 「今日は部活も無いし、後で送るよ。まだ時間あるから、寝てれば」 矢野君がそう言って出て行って、脇先生も、そうしなさいと頷いた。 閉められたカーテンがエアコンの風にゆらりと揺れていた。滑らかな布の動きを見ながら、目を閉じる。全部真っ白だ。 こんな風に、綺麗さっぱり気持ちも消せたら、きっと楽になるのに。 夢に出てくる唯人は、実物と違ってキスが上手い。それでも、その先の展開は、いつも同じだった。謝って、涙を浮かべて、背中を見せる。 何度も夢に出てくるくせに、いつも泣きそうな顔しか見せない。どうせ夢なら、アタシの望むものを見せてよ。 また今日も、夢の中でアタシは迷っている。唯人が不安に苛まれて背中を向けた瞬間、呼び止めるかどうか。いつも、ここで逃げられてしまう。そして、泣き顔だけが記憶に刻まれて、また目が覚めれば後悔が重いため息になる。 呼び止めたら、どうにかなるのだろうか。アタシから離れて関わりを絶った唯人と、以前のように話せる時間が戻るのだろうか。もういい加減にしろ。アタシが欲しいなら、逃げたりせずにそう言って。 欲しいのなら、口にしなくちゃ届かない。 『訊きたいことがあるなら、訊きなさいよ』 唯人に投げた問いを、自分に向ける。 もうアタシのことなんてどうでもいいの? そう言ってしまえば、全部終わってしまうと、知っているから言えない。 「ゆい……」 搾り出した声は途中で途切れたけれど、夢の結末は変わった。 はい、と声がした。唯人。もう一度呼んだら、目の前にいた。綺麗な二重、深いこげ茶色の、唯人の瞳。見つめあう距離は近い。 「なんだ、ちゃんと居るじゃない」 アタシが笑うと、唯人も笑った。懐かしい笑顔にホッとして、抱きしめた。もうどこにも消えないように。 アタシの側にいて欲しい。唯人のいない日々は、寂しくて、物足りなくて ――― もう誰かを思って、悲しい絵ばかり描く毎日はゴメンだ。 「唯人」 もう一度名前を呼んだら、ぎゅっと強く抱きしめられたような気がした。 「千代ちゃん」 揺られて目を覚ました。眼鏡の音楽教師が、面白そうな顔をして立っていた。 「起こしに来たのが俺でよかったな」 「……よくない。いくらなんでも失礼でしょうが」 何、その得意げな表情は。寝起きの顔なんて、見られて嬉しいわけがない。 「仕方ないだろ。脇さん、他の生徒の付き添いで病院行ったし、わざわざ起こすだけで他の女の先生に頼むのも、面倒くさい」 確かに、理由を聞けばそうかなと思うけど、不機嫌さは減らない。 前髪をかきあげようとして、しっかり何かを掴んでいるのに気がついた。視線を落とす。 「……何、コレ」 「何って、俺が聞きたいぐらいなんですけど。君ら、俺よりやることが大胆だよな」 アタシが腕の中に抱きしめていたのは、男子生徒のブレザーだった。東郷、と内ポケットに刺繍つき。 「 ――― 確かに、大胆だね」 いたんだ、ここに。 抱きしめて、アタシに笑いかけたのは、夢じゃないのね? 「車、正門にまわすから。帰る準備して、待ってて」 「わかった。ありがと」 「いいえー、どういたしまして。千代ちゃんには借りがありますから」 ニヤリと意味深な笑みを返されて、今日のことで貸し借り無し、と言われた気がした。わかってるよ、そんなこと。 一人になると、急に静けさに包まれた。保健室のベッドに腰掛けて、手の中のブレザーを見つめる。こんなもの置いて行って、どうするのよ君は。明日も学校あるって、わかってんの? 紺色の見慣れたそれを胸に抱くと、自然に口元が緩んだ。 『アタシを夢中にさせてみなさいよ』 真っ赤な顔で頷いたのは、二年前の君。 降参するよ。ほったらかしにしたのも、許してあげる。 ――― 夢中にさせた責任、ちゃんと取ってもらいましょうか。 (Selfish/END) 05.06.07 |